人更に少きこと無し 時須く惜しむべし 年常には春ならず 酒空しくすること莫かれ
from 2023/04/26
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佐佐木信綱 編『和漢朗詠集 : 御物』上,佐佐木信綱,昭和7. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1184037 (参照 2023-04-27),p.19
和漢朗詠集・暮春・47、小野篁の漢詩から抜き出した佳句
$ 人無_二更少時_一須_レ惜
$ 年不_二常春_一酒莫_レ空
人更に少きこと無し 時須く惜しむべし
若い頃は二度とやってこない。だから時は惜しむべきだ。
年常には春ならず 酒空しくすること莫かれ
一年も常に春とは限らない。酒を絶やさずに楽しむべきだ。
手元の本(新編日本古典文学全集)の訳では酒とともに花を楽しむ、という解釈がなされていたcFQ2f7LRuLYP.icon
時という有限のリソースを使うんなら酒を飲むに限るということ?()cFQ2f7LRuLYP.icon
冗談はさておき、「限りある若い時を無為にしないように、春のその時を楽しめるように楽しめるものを持っておけ」ってことだろう
前句よりも後ろの花見だ!酒だ!という方に作者の言いたいことがある気がする
命短いし、この春の花見のチャンスを逃さず酒飲んで楽しもうぜ!というような
そうすると下の関寺小町の引用部はまた違った味わいになるな…
ここでは楽しめるもの=酒。酒ッ!呑まずにはいられないッ!
そんなこと言われてもなあyosider.icon
「少」は「すくない」ではなく「わかい」
念のため古辞書での訓を確認しておくcFQ2f7LRuLYP.icon
https://gyazo.com/f6396f95304b472fbd35e95b0821ec95
[菅原是善 著]『『類聚名義抄』』[11],貴重図書複製会,昭和12. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2586900 (参照 2023-04-27),p.41
さてこの句は謡曲の関寺小町にも引かれているとのことcFQ2f7LRuLYP.icon
(新編日本古典文学全集の注より)
関寺小町の全体をパッと見たところ、古今集仮名序に依る表現が多そうだった
https://gyazo.com/26f039da571f7e904620d592ec8c591bhttps://gyazo.com/3e50635f9e5ac0b06be507661e401c1e
廿四世観世左近 訂正『右近・女郎花・関寺小町・自然居士・大会』,桧書店,昭和8. 国立国会図書館デジタルコレクション (参照 2023-04-26)
花は雨の過ぐるによつて、紅まさに老いたり。柳は風に欺かれて緑漸く垂れり。人更に若き事なし、終には老の鶯の百囀りの春は来れども、昔に帰る秋はなし。…
謡っているのは歌道の達人の老女(シテ。正体は小野小町(ネタバレ注意))
もう若い時は帰ってこないという重い実感がある
あら来し方恋しや、あら来し方恋しや、行く末よりもすっかり来し方のほうが多くなってしまってる
花は雨の過ぐるによつて、紅まさに老いたりは、雨によって花の色が色褪せることをいう
「紅」はつややかなはつらつとした色で、たとえば「紅顔」と言って若い人の顔ばせを指すこともある
そういえば朝に紅顔ありて夕べに白骨となるの句も和漢朗詠集にある
小野小町の有名歌「花の色はうつりにけりないたづらに我が身世にふるながめせしまに」を念頭に置いていそう
花の色褪せ、さらに暮春の景である老いた鶯を添えつつ、悲秋たる秋へとつなぐ。しかしその秋にすらなお帰ることはできない(昔に帰る秋はなし)という行く先のない老いの悲嘆cFQ2f7LRuLYP.icon
謡曲の語彙・詞藻の調べたるやなんなんだろうか。絢爛な錦を見るような心地がする
ただし柳は風に欺かれて緑漸く垂れりはどう解釈すればいいのか謎cFQ2f7LRuLYP.icon
老いというよりは緑がまさるのかな~とか思った。でもそうなると色褪せていく、衰えていく文の方向とどうも合わない
花は雨の過ぐるによつて、紅まさに老いたりから始まる一節は「百聯抄解之詩」によるらしいが果たして(https://dl.ndl.go.jp/pid/1101475/1/32)
https://gyazo.com/a0e2a339f600c2c400809e0379bcaaad
レファ協によると五山文学に「百聯抄」という本があるようですね
「百聯抄解」(ヒャクレンショウカイ)という書物を探してほしい。謡曲関係書の注の中に出てきた。漢詩の句... | レファレンス協同データベース
河原万吉『稀籍考』によると昭和二年に漸く見つかった稀覯本で、「謡曲に引用された詩句の出典」として先行資料に紹介された本のようだ
河原万吉 著『稀籍考』,竹酔書房,1936. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1868286 (参照 2023-04-27)、p241参照
ちょっとしらべてみたら大和田建樹『謡曲評釈』の頭注に次のようにあった
https://gyazo.com/674f094d29380dcae79cbe765b2f98bchttps://gyazo.com/03638deea3c5fc2c20fb0d8db4df984d
大和田建樹 著『謡曲評釈』第9輯,博文館,明40-41. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/876572 (参照 2023-04-27)p.46~47
なるほど、花は雨の過ぐるによつて、紅まさに老いたり。柳は風に欺かれて緑漸く垂れり。全体で春の末(暮春)になることを言うみたいでした
もう少し新しい時代の注釈を見たいが手元にないのでまたいずれ(だいたい調べない)
柳と花の取り合わせなら、まず桜と見てよい
見渡せば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりけるの素性法師の詠が有名
柳の盛りというか、みて美しい状態とはどういう頃をさすのだろうか?cFQ2f7LRuLYP.icon
垂れる/垂れないでその美しさに変化があるのだろうか
柳の見どころは枝であったらしい
梅が香を桜の花ににほはせて柳が枝に咲かせてしがな
『後拾遺和歌集』・春上・82、中原致時
なお、関寺小町は能楽において「秘曲」の扱いで、そうそう演じられる演目でないとのこと
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